10 なら梨とり(二)おじいさん一人に、一郎と二郎と三郎と育てらっだと。ある日のこと、おじいさんが風邪ひいて、 「なら梨食ってみたい」 と言うもんだと。そうすっど、なら梨って、すごい奥山さでないと、実っていないのだと。一番大きい一郎が、 「おじいさんが、そんがい食いたいごんだら、オレ行って採って来て食せっから」 とハケゴ持(たが)ってなら梨とりに行ったんだと。途中まで行ったれば、 「もんどれさっさ、帰れさっさ」 と風が吹いて来たんだと。 「はて、奇態な風も吹くもんだ」 と思ったげんど、ずっと行ったんだと。そうすっど、大きな川原の上っ側で、鬼婆がシラミとりしったんだけと。恐っかなかったげんど、 「婆っちゃ、婆っちゃ、おじいさんが風邪ひいてなら梨食いたいというから、なら梨実(な)ってたどこ知らねべか」 と聞いたもんだと。 「知ってたども、知ってたども、この山越えて七つ山越えて、沢さ行くじど、大きな木あって、いっぱい実(な)ってだ」 と言うのだと。喜んで一郎が山越えて行ったんだと。そうすっど、すばらしいなら梨の木になら梨が実(な)っていたんだと。木さ登ってもぎ始めたら、 〈ジャランポン、ジャランポン〉 と荼毘(だみ)来たんだと。 「はて、こげな山奥さ、荼毘など来て、恐っかないもんだ」 と思っていたど。そうすっど、荼毘が段々と近づいて来て、なら梨の木の下さ棺を置いて、みな行ってしまったんだと。そうすっど、その棺が二つに割(わ)っさけて中から、先程(さっきだ)の鬼婆が出はって来たんだと。 「一郎、呑むぞ」 一郎は木のシンポエまで登って行ったげんども、鬼婆も上って来て呑っだんだと。 家ではなんぼ待ってても来ね。夜になっても来ねもんだから、次の日、二郎が出かけたなだと。やっぱり途中まで行くと、変な風吹いて来て、不思議だと思いながら、行ったわけだと。そうすっど、また鬼婆がその川原でシラミとりしったんだと。またそこで聞いて行ってみたらば、なら梨が実(な)っていたんで喜んでもいでいたんだと。そうすっど荼毘来たんだと。そうすっど、棺を木の根っこさ置いて行ったんだと。そして棺が二つに割(わ)っさけて鬼婆から呑っだんだと。 家ではなんぼ待っても二郎も来ねごんだと。三郎は、 「誰ももどって来ない」 と言って、山刀(なた)だの庖丁だの刃物いっぱい用心して、次の日に向ったんだと。風もまたそういう風で、川原まで行ったら鬼婆、シラミとりしったんだと。そこで、 「婆っちゃ、婆っちゃ、なら梨の木はどこさあんべ」 と聞いて行ったんだと。そうしたらば、やっぱり実(な)っていたんだと。荼毘来たんだと。棺が割(わ)っさけて出て来た鬼婆が「呑むぞ」と言うたんだと。 「こいつが兄んちゃだ(達)二人も呑んだんだな」 というわけで、刃物で鬼婆さ掛って、そして鬼婆どて退治して、腹の中さそっくり呑まっだ二人を、腹切って出して、さいた腹さ石を一杯つめてなら梨を三人でもいで来て、おじいさんさ食せておじいさんの風邪いっぺんで治って、みんな安泰に暮したど。 二つの「なら梨とり」をとり上げたのは、それぞれストーリーのニュアンスのちがいを見るからである。前者は一般のストーリーであるが川原で風が「もどれざんざん」とか、川の流れが「もどれざんざん」などと吹いて来たり、流れたりする部分が消えてしまっていること。後者では、川原に鬼婆がいてシラミとりしている点、荼毘と会う点は、前の方が「桃太郎ばなし」の一部分と、後の方は「法印と狐」の一部分とだぶっているのではないかと考えられる。以上のことから消滅した物語、混線した物語りの側と考えることができるのではないだろうか。 |
(宮原 山崎ヨシエ) |
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