5 お糸唐糸

 お糸と唐糸のこして、おっかさんが死んでしまったと。それからおとっつぁんが後妻おっかさんもらったんだと。そして後妻おっかさんが意地わるくて、おとっつぁんが稼ぎに出た後に、いじめられるわけだと。
 ある日のこと。お糸と唐糸が二人で相談して、なんぼ家の手使いなどして働いても、こがえに助(す)けても助(す)けても、おっかさんが怒って(ごしゃえで)ばかりいてさっぱり面白くないから、オレだ何処さか逃げて行くべと、晩方家さ夜(よ)上(あが)りしないで、二人で山の方さ行ったんだと。
 山さ入る手前に、すばらしいな川原あって、大きな橋掛っていたんだと。その川原さ。そうすっど、仕様ないもんだから、川原橋の下だらば、何とか雨降って来たてもしのがれるというわけで、二人でそこさ宿とったんだごで。
 暗くなってから、おとっつぁんが稼ぎから帰って来て、
「お糸・唐糸、何処さ行った」
 と、おっかさんさ聞いたんだごで。んだげんども、そのおっかさんは知らないふりして、
「何処さ行ったか知らね」
 と言うたと。おとっつぁんだって常々うすうす分ってやんべから、まず〈確かそげな気持でも起したんだべ〉というわけで、むごさくて泣いて目が見えなくなったんだど。そうすっど、六部さまになって、おとっつぁんが探し当てっからというわけで、鉦(かね)ならしてずっと行ったれば、
「お糸唐糸、いたならば、この目はぱっちりあくのだ」
 と行ったと。
 暗くなる頃、その橋さ通り掛ったば、その橋の下から聞きなれた親で、
「おとっつぁんでないか」
 と二人出て来たと。そうすっど、おとっつぁんは、
「なしてお前だ、こげなどこさ来た」
 というわけで、親子三人で嬉し泣きに泣いたと。そして「こげなとこにいらんねがら、家さあえべ」とおとっつぁんが言うと、その子供は、
「どうせ、なんぼ手使っても、おっかさんがオラだどこ怒って(ごっしゃえて)ばりいるし、行かねはぁ」
 と言ったんだと。
「んじゃらば、家に帰らんねんだらば、お月さまとお星さまになって、空さ登ってあえべはぁ、オレはお天道さまになって行くから」
 と、空さ登って行ったってよ。そうすっど、意地のわるいおっかさんはモグラモチになってしまったと。んだから、モグラモチて、お天道さまの光に当っどこさ出ると死ぬから、穴の中さばりいんなだと。とうびんと。

 お糸が先妻の子、唐糸が後妻の子で、二人は大変仲よかったが、母はお糸を憎んで、人にたのんで山に埋めてしまう。そのとき、お糸はケシの種を道々蒔いて行く。次の春に花が咲いたのを唐糸が見つけて救うという話が米沢市に採集されている。赤湯のこの話は「お月・お星」の話が「お糸唐糸」という名で語られているものと考えられる。
(宮原 山崎ヨシエ)
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