三堀観音池黒矢ノ目観音の森に置賜第二十七番池黒札所の観音が建っている。時の領主景勝公、上方に於て何のはずみか、領内の鶴を捕えて献上することに なった。主命は遠く米沢に伝えられた。しかしどうしたことかその時に限って鶴 は一羽も姿を見せなかった。献上の期日は迫るし、まだかまだかの上方の領主の 催促に国家老ただ気をもむのみだった。昔から鶴がすんでいるという池黒(それ でその地名鶴群田(つるまきだ)と称すると言う)にも狩人を派遣。霊験あらたかな三堀観音へ 大願はかけられた。やがて満願の日に、験ありて鶴を押える事ができ、上方に之 を送り、面目を保つことができたという。よって領主様より御墨付をちょうだい し、今尚その宝物は現存するという。 藤原時代の造顕であり、行基菩薩御作五観音は近世まで付近の幼児自由に本堂 に出入し、本尊とたわむれ、抱きかかえて水浴させたりなどしてあそぶ風習もあっ たと古老は語り、民家にとけこんだ信仰のあらわれである。 |
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