永仁の碑何百年かの大昔、この地に曽我の大雨が七日七晩降り続き、大洪水になって、河は氾濫し、田畑は押し流され、百姓の困難その極に達した。その時池黒三右衛 門の祖甚五郎とも申しますが、この雨は曽我兄弟の一念がこもって涙雨となった のであるから、御供養申さねばなるまいとて、高台の地を選び碑を建立し、お祀 り申し上げたと伝えられる。後年旱時には雨乞の神としてお祀りされたという。 相並ぶ碑のうち右を十郎祐成、左を五郎時政とて今もなお先祖が建立したと伝 えられる。中堀方にて代々供養が続けられている。 |
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