三塚の(一)備後塚(首塚)明治の中~末期、漆山大仏の東方四百メートルに上横打という地点が(俗に備後塚といわれる)田の中より、漆塗りの棺が出土し、それは備後三郎の首桶だと て、大騒ぎになり、珍蔵寺の碩宝和尚が引取り、御経をあけ供養したという。 三塚の(二)経塚大仏北方約三百米、大昔のおりはた河畔にある。経塚とて、大昔おりはた川大洪水の時、これを防ぐためにありがたいお経をう めた所で、一字一石の写経石が明治の末頃まで拾われた。 またこれは、へび塚とて、おりはた川大洪水の時(大昔、ここを川が流れてい た)この塚の西の方が一大渕となり、たまげるような大へびが何百匹となくここ に打上げられ死んだので、ここに葬ったという。 |
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