池黒の地名と馬頭観音池黒畑中、東はネコゴの所に、馬頭観音様が鎮座している。その前庭に約五、六坪湧水の池がある。その池から義経公の乗馬が出生し、故に池川村だった村名 が池より黒馬出生という訳で池黒村となったという。 何百年の前の大雪の四月のある日、ネコゴ屋敷の前庭に、ひょうかんな黒馬の 仔が立っていた。この馬は誰も飼い手がないので、ネコゴの家で飼うことにした。 不思議なことにこの黒馬は厩を自由に出入し、甘酒が大すきで、屋根をかけ上が り、天に向っていななき、または水中を自在にかけて水浴もした。この毛並のピ カピカ光る名馬は一体どこから来たのであろうかと太評判であったが、程なくし て、西方の原っぱ場川岸に、馬の形をした池が忽然と現出し、清水がコンコン湧 いているのを村人が発見し、あの名馬はここから生れたのだと信じて馬頭観音を 勧請し、盛大に祠った。また池の水は病馬によく効き、池のはたにある木は人の 病気や、のどにささったトゲまでとれるといわれている。 さて、このような名馬の評判を伝え聞いた義経公が、その臣弁慶、亀の両名を 名代に遣わし、この名馬を手に入れられ、これが後に名馬するすみとなり、あの 目ざましい働きをしたと伝えられる。「ろくしゃみょうじんさんけいのみぎり、 じょうめ一とう……言々、亀井新十郎、弁慶」の古証文を残したと伝えられるが、 現在はなく調べるすべはないが、羽黒旧参道に亀井橋等のゆかりの名もあり、佐 藤の一族は今もなお黒馬を飼う事はタブーとされている。 |
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