時庭の六本仏

 生れは四国の琴平さまの近くで、漁師であった人で、何か男の持ってるものが
あまり大きすぎて、誰さも通用するものがなかったど。そういうわけで、他人に
あまり馬鹿にされるもんだから、六部になって日本全国廻るということで、六部
になって出かけて来たってよ。
 そしてずうっと奥羽に入って来た当時は、何でもこの辺は湖で、やっと水が乾
いたばっかりで、今泉に抜けるところに、「金売り吉次道」ていう道あって、東山
から山の上通って、今の長井の川井に出る道だな。あそこに「踏切(ふんぎ)り不動」が立っ
てで、踏切ってあそこから水流したということで、そこが渡し場だったらしい。
義経が弁慶を連(せ)て、頼朝と仲悪くなって、岩手の衣川さ来(く)っ時は、金売り吉次が
道案内して連(せ)て来たというどこなんだな。
 それから歌丸(長井市)まで来て、寺さ行って願ったところが、何さ寺さあっ
て、寺に泊めらんねがったらしく、そんで出てきてから川端で、女の人が何か洗
いものしていたど。そこさ来て、六部がこういうわけだから泊めて頂かんねべか
と言うど、
「実は、おら家の人と二人ばりで生活していんなだ。んだげんども、今、家の人
は伊勢参宮に行っていないごんだ。多分今日か明日あたり、伊勢かける日だと思
うげんども、別に家には何もないから、道中災難に会わないように、拝(おが)申して呉っ
こんだらば、泊めて上げっこでな」
 て言うたど。そうしたら、
「いや、おれ、そいつ商売だから、立派にお経上げてけっから……」
 て、そして、「ほんじゃらば」ていうわけで寄せて御馳走してお経上げてもらっ
て、御飯食べて、さまざまお茶飲んで話したところが、
「おれは、こういうわけで六部になって来たんだ」
 て言うもんだから、それはどうも人間として残念なことだな、人間の味合いて
いうのはないはずだ。情けないことだ。おれぁ、何とかしてさせい上げたいと言
うわけだったど。そうすっど、六部は喜んで、次の日立って行ったど。
 ずうっと国に帰るとき、舟の中で一緒になった人たちでみんな話して、
「自分自分で嬉しがったこととか、ごしゃげたこととか、魂消たこと、ええかっ
たことあんべから、そういうことをお互いに語り合ってみんべ」
 ていうことになって、その六部が奥羽でこういうことあったということ話した
ど。ところが拍子わるく、その舟さ女の亭主ものってだったど。そして名前まで
はっきり言わっじゃもんだから、帰ってくるよりも早く家さ寄って酒瓶(すず)四杯で一
升だったが、
「一升入れのスズさ、五杯買ってこい」
「なえだごど、四杯しか入んねスズさ、五杯買って来いざぁ、そがえ無茶なこと
語ったて仕様ない」
 こういう風に言うたど。
「何語っている、きさま、入れ方上手だそうだ、他人(ひと)、誰も入れらんね物、お前
は入れられるそうだから、四杯入れるスズさ五杯入れるの何でもないごで」
 そうすっど、「おれのことバレた」と、こう言って、そっから黙って立って裸足
で川さ入って死んでしまったていうんだな。そしてからまた何年か経った時、そ
の六部が廻ってきて、顔だけでも見たいと思って通った時、その家に別な女がい
た。そしてその女に聞いたところが、
「そいつは、こういうわけで、川さ入って死んだ。おれはそんでここさ嫁に来た
んだ」
 こういうこと言わっじゃ。そうすっどその六部は、
「ほんじゃ、おれ殺したんだ。六部なて言われるなて申訳ない」
 て、それから自分が苦労してその六部は、細越さ行って、石仏を注文したとい
うんだな。そしてそれを背負ったわけだな。自分で背負って、昼間だと人の目に
つくから、夜、背負ったど。一体、仏というのは七本あるの、六本立てて、七本
目、お仏(ほとけ)(漆山)まで来たところが、動がんねぐなった、疲れて。そしてそのど
こさ休んだら、休んでるに従ってなおさら疲れが出てきて、動かんねぐなって、
そしてるうちに夜明けて明るくなりかかって来たど。こんじゃ、これはここさ置
く他ないて、そこさ置いて、沢に入って、この沢で死んだので、そこを六部塔婆
というし、時庭には六本仏しかなくて、一本はお仏にある。
(後藤)
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