41 姥捨て山

 姥捨て山で、年寄りになっどみなそこさ置いて来らっだもんだど。そんどきあ る息子が孝行な息子だじごでな。その年寄一人囲って隠していたったてな。そん どき、昔だから、殿さまからだごでな、
「打 (ぶ) たない太鼓の鳴る太鼓こさってこい」
 て言わっだもんだて。村中集まって幾日 (いつか) 晩集まって相談しても、「打たない太鼓 の鳴る太鼓」じゃ拵うべくぁないがったって。
 そうすっじど、その息子、穴倉さ入 (い) っで隠くしった年寄さ行って聞いだって。
そうすっどそのばんさ、
「打たない太鼓の鳴る太鼓なてないごで、夜どこさか亀蜂の巣くっていたな、行っ てそっと袋さ取って来て、そして太鼓のような拵って、紙で、そいつをスポッと 入っで持って行ぐ他てないごで」
 て、教えらっじぇ、亀蜂の巣とって来て、拵って持って行ったど。
 そうすっどやっぱり、「打たない太鼓の鳴る太鼓」じだごでな。
「まこと、これは珍らしいものだ」
 それからまた、「灰で縄なって、千尋もって来い」て言わっじゃど。
「灰で縄なって、千尋なて、何考えだてこさわれっこない」
 これも年寄に、その息子聞いたど。そうすっど、縄千尋なって、それをソクッ と焼いて持って行かんなねて、そう言わっで、縄なってそっと焼いて、いじらね で持って行ったじだな。そして殿さまに御褒美もらったじだな。そしてこいつは 誰考えてもさんね、そんで、
「どっから思い出す風にした」
 て聞かっじゃて。そうすっど親孝行の息子が、
「実は、わるいごんだげんども、姥捨て山さ母背負って行ったげんども、とても 親を置かんね、穴倉さこうして隠しった。その年寄に聞いだのだ。村中集まって も相談でなくって、年寄に教えらっじゃ」
 て言うたど。それが始まりで、その息子は親孝行の御褒美をもらう。年寄衆を 大事にしておく世の中になったど。
(新沼・土屋ひろえ)
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