17 和尚と小僧―餅食えば牛―

 むかしむかし、ある寺さ、和尚と小僧がいて、して、和尚さまが、
「高野山さ行って修行してくる。留守しっかりたのんだぞ」
 て、小僧さ言い渡して、ほして旅に出立して行った。幾日何十日おもっても帰って来ね、ほんで昔は出家の身では妻帯さんねがった。それで(ぼう)(もり)とかおばさまて言うていた。んで、その小僧さ、坊守からも、
「まず、早く、うちの住職迎え行ってもらいたい、何とか探して来て頂きたい」
「んだらば、坊守さま、唯今から和尚さんば探しに行って来っから、旅仕度お願いします」
 こういうわけで、おにぎり頂戴して、ずうっと行った。したらば大きい山あって、その高い山の麓さ一軒家あった。ほこさ行ってみたらば、すばらしくいっぱい(べこ)いだっけ。
「おかしいもんだ、こだえ山奥に、こだえ(べこ)飼ってる」
 なて思っていたれば、そこさ行って、一夜の宿お願いしたれば、
「ああ、泊らっさい、こっちござっさい」
 きわめて待遇ええ。
「さぁ、お湯さ、どうだ」
 何だて。ほして、
「まず、こだえ(べこ)いだっだ。牛でも見せてもらうかなぁ」
 と思って、ずうっと厩さ行ったらば、十番目あたりさつながっていた牛が、涙ボロボロ、ボロボロ、小僧ば見てこぼしている。ほして(べろ)で板塀さ「ここで、ダシモチ食うな」て書いた。
「何か、こりゃ。ダシモチ食うなて、何かあるんだな、なしてだべ」
 と、こう思ってだところが、やはり節だもんだから、餅が出た。
「さぁ、あがらっしゃい、あがらっしゃい」
 食ったふりして、そいつ次の朝げ、そこの家の人の食う御飯の中さ入っでで()っだ。知しゃねでそこの家族が皆はいつ食ったらば、何だか足の方からおかし気蹄割っだみたい足になったけずぁ、たちまち牛になってしまった。
「ははぁ、読めた。この涙こぼして、ダシモチ食うなて言うたのは、ほいつは和尚さんだ」
 ほだえしているうち、ほこの一番旦那が山さパカパカ、パカパカ行ったけぁ、木の枝()だって、ほして木の葉っぱの大きな付いっだな持ってきて、家内中さ食せたれば、足の方から人間になった。
「ははぁ、あの葉っぱ食せっど、元の人間にもどるんだな」
 て言うわけで、がらがら行って、その葉っぱ持って来て、和尚さんさ食せたれば、したれば元の和尚さんになって、「ああ、ええがった」て。ほして、
「実は、こういうわけで、坊守さまも檀家の人も、みなお待ちかねだ。すぐ帰ってけらっしゃい。んだげんど、とんでもない話だ。ここでみな、人さダシモチ食わせて、牛にして売って金もうけしったんだ。何とかこいつ一つ()ち上げて()んなね」
 て言うわけで、そこさ行っていろいろ話した。んだげんどお寺さま、人ば()ち上げたなてもいらんねもんだから、ほこまず、早々に(いとま)して帰ってきた。
 今でも、んだから「ダシモチ食うな」て言う家がある。ダシモチには、その頃ハンミョウという毒虫がいて、やっぱり牛みたいに涎ダラダラ出す中毒が起った時代あったそうだ。んだもんだから、その頃、ダシモチは食うなていましめたことだけど。どんぴんからりん、すっからりん。
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