121 女郎狐

 むかしむかし、陸奥の国に駒蔵という人いた。そしてその駒蔵が、あるとき山さ行ったれば、やせだ犬コがクンクン、クンクンて鳴いでだ。可哀そうなもんだと思って、その犬コば連れて来て、育てた。どうしてもその外さ行きがらない。縁の下さなのばっかりくぐっている。そしてワンて一回も言(や)ね。
「おかしいこともあるもんだなぁ、犬だらワンとか言うはずなんだか」
 と思っていたれば、ある夕方、
「お晩になりました。こんばんわ」
 て来た。「はい」出はって見たれば、きれいな身成りしった娘さんが来た。
「実はあの、わたしこうして来たげんども、狐だ。お宅さ育ててもらった。わたしの子ども、これは故あって何とも育てらんねくて、捨子同然に置いっだどこ、あなた様に助けてもらって、今までこだい大きくしてもらった。実はこの狐の、わたしの母親だ」
「こんどはどうにか育てられるようになったから引取りに参ったから、何とかこの子ども、わたしさ呉(け)てけねが」
「ほうか、狐だったか、道理で今までわたしは犬とばり思っていたげんども、ワンて一回も言わね。顔はとんがっていっし、やっぱりそうであったか、んだら仕方ない。お前さ上げんべ」
 と、狐コば撫でなでそのお母さんさ返してやったわけだ。そしてそれから遥として二・三か月過ぎだれば、その狐はじんつぁの家さ行ってみて魂消た。
「よくよく貧乏しながら、おれの子ども助けて呉だんだな、何か一つ、こりゃお礼すんなね」
 と、こういう風に考えて、そこさ行って、
「駒蔵さん、駒蔵さん、実はこんど、おれもある程度自由になったし、あなたさ恩返したくて来た。おれがきれいな娘に化けっから、吉原さ売ってけらっしゃい。そしてあなた銭もらって帰って来てけらっしゃい」
「はい、よしきた」
 て、場所定めて、そして吉原さ売った。見たどこええ娘なもんだから、相当の高い金でそれが売れたわけだ。ところが次の日から吉原はパッと花咲いたようだていうか、吉原始まって以来の美人だ。まぁ一緒に酒飲むなていうこと出来ないったて、顔・姿見たばりでもええというわけで、もの見高い江戸の若者どもがワンサワンサと押しかけた。そこの旦那もがばがばともうかった。
 ところがまず便所へ行くったって、どこさ行くったって、監視つきで仲々逃げらんね。そして少し遅いど、「お姉さん、お姉さん」て、その番頭に呼ばられる。まず、そうこうしてるうちに近江商人に、大阪商人よりまだ上手(うわて)の商人、すばらしい大店の商人の息子が、狐憑きで困っている。
「ほだいええ娘でも傍さ置いたら、狐憑き治るでないか」
 こういう風に考えたその商人が、
「よし、んだらば、おれが世話して呉る」
 ていうわけで、身受けしたい。まぁ金の世の中で、いつの御代でも地獄の沙汰も金次第ていうんだが、山ほど金積まっで、そこで身受けさせた。して近江さつれて行った。ところが娘言うことには、
「おれとその息子さん二人ばっかりにして呉(け)らっしゃい。二人に部屋貸して呉らっしゃい」
 そしてそこさ二人が行って、憑いてる狐と、狐なもんだから物語りが始まった。
「なして、おまえ、痛々しく若旦那さ憑いだなだ」
 て言うたらば、
「いや、お前知しゃね、おれだって、憑きだくて憑いだんでないんだ。実はこうだ」
 て、憑いだ狐が物語り始めた。一等最初、おれはここの稲荷さまの神様だった。屋敷内にある神さまだった。ところが最初夫婦と子どもぐらいだったげんど、一族がだんだん増えて行った。ほして外さは出らんねし、食いものはいっぱい要(い)んべし、旦那の鶏盗って食ったところが旦那にごしゃがっで、煮立つ湯かけらっでおれが死んだんだはぁ。生き霊でなくて、おれぁ死霊なんだ。んだからおれはちょっとやさっとで離れらんね怨みがあるんだ」
「いやいや、はいつは、んだがも知んないげんど、物は考えようだ。お前死んだ体生きるわけないんだ。お前がたとえ死んだとしても、お前の子ども、孫ていうな、お前の分身が生きているではないか。この若旦那は殺してしまえば、元も子もないのだ。お前の一族も絶えてしまわねくてなんねぇんだ。何とかこの旦那は助けてお前だも助かる方法考えんなねべな」
「ほだいうまく行くか」
「いや、この点はおれが中さ入っから、条件としてほいつ旦那に聞いてもらうから、んだらばお前離れっか」
「ほだごんだらええっだな、離れっだな」
「よし、んでは決まった」
 こういうわけで、娘が旦那さ打ちあけ話した。
「お宅でこういうことあって、煮立つ湯かけて殺したことあんべ」
「いや、ある」
「この狐憑ったんだ。ほら。このまましてればお宅の息子はもうこの世の人でなくなっかも知んない。モサモサしていらんね。実はこういうわけで、おれも狐だ、正直は…。人間で、こだなきれいな居るわけないなだ。東北の片田舎からある人のお世話になった恩を返すために、ここまでこうしているんだ、どうだ。ここで一つおれと手打って、ほうしてお前の息子治って、お前の家の繁栄はかること考えて見ねが」
 したれば、
「ああ、願ったりかなったりだ。お願いします」
「んじゃ、決まった」
 て言うわけで、次の日からどっさりそこさ食いもの上げた。ほしたら息子から狐離っで、
「はぁ、おれは何だか二・三日頭少しおかしいがった」
 もう何か月となるんだげんども、そだな勘定して治った。ほして旦那から、
「お前のおかげで、おら家(え)の大店(たな)救わっだんだ。何でも望みのもの上げっから」
 て言わっで、何がしかの路銀と、いろいろなもの御馳走になって、そこを立って帰って来たわけだ。そうして、
「こういうわけで帰って来た」
「そうか、御苦労であった。実はもうお前と一緒に暮したい。おら家の屋敷内の神さまになった呉ろ」
 ていうわけで、駒蔵さんが竹やぶの中さ、お堂建てて呉(け)で、そしてそこさ狐の御所してやってはぁ、氏神様にしてしまった。その竹やぶの中の駒蔵さんのどこだったから、誰言うとなく、竹駒稲荷と言うて霊験あらたかになった。仙台の、今でも竹駒さまて言うのあって、狐憑きになった場合、鳥居ささわっただけで、狐憑き治るなて言うのだけど。どんぴんからりん、すっからりん。
(遊女狐239)
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