120 関根柿の由来むかしとんとんあったけずま。むかしむかし、源義家が東北攻めに行ったときに、こっちの方では迎え打つ東北勢は、磐上山二つ森に七万騎の大軍を布陣して、中央の軍勢をはばみ、ほして追いつ追われつ、激戦が毎日続いたんだど。ほしてある時は紫の雪を降らせたり、そしているうちに戦いも長く続いだんだげど。 その頃、中央から派遣された次郎丸という若武者が一きわ目立って、そしてまたオヨネという、年頃の娘がその中央から来た軍勢に献身的に奉仕していだんだけど。ところが中央の命令で、その東北攻めに来た武士たちが急に帰らんなねぐなったんだど。あのときのこと、しばしの逢瀬を楽しんで、ほして今から別れんなねはぁていうわけで、その次郎丸とオヨネが再会を誓って、形見に一振りの小塚(小刀)と柿の実数個をオヨネに渡して立って行ってしまった。オヨネは来る日も来る日も次郎丸を忘れがたく、ほしてはるかに猿蟹もどきに、その木の実ば毎日毎日、 「早く芽を出せ、早く木になれ、早く花咲け」の如く手入れしていだんだけど。 そして早や六七年の歳月が流っではぁ、ある正月の十三日の団子の日がやって来たんだど。 むかしから、そこの部落は非常に水不足になやまされだどこなために、どこの家でも団子さし―団子さしていうのは、瑞(みず)木(き)に水玉がいっぱい付いたという意味で、水不自由しないように、そういって団子さして、そしてまた、どこの家でも蚕が当るようにというわけで、マユダマというものを下げた。その他に願いごとがかなうようにというわけで、フナ煎餅なんていういろいろなもの下げた。また団子の木の根っこの方は、十六団子という一きわ大きい団子、こっちに八つ、そっちに八つ下げるのが毎年の、正月行事だったわけだ。 ところが一晩経(た)ったら、これは不思議なことには、その大玉の十六団子がきれいに紅色に見えた。たちまち村中の噂になって、噂は噂を呼んではぁ、いろいろこりゃ、オナカマさまさ行って聞いてみんなねべの、何か悪(わ)れことあるんでないか、ほら何だていうわけで、持ちきりになった。 「十六団子、赤くなるなんて、どういうわけだべ」 ほだいしているうちに人の噂も七十五日、ようとして跡切れてしまったはぁ。 その年の夏も過ぎて、いつしかこの星のきれいな秋になってしまったんだどはぁ。ほしてある晩、オヨネがすごくうなさっでいたんだど。夢の中さなつかしいなつかしい次郎丸が現わっだと思ったら、その次郎丸がたちまち白髪の仙人に早がわりして、きびしい顔で、こういうこと言うた。 「正月におつげがあった十六団子は、あれはお前さやった柿が今年より実がなる」そういうこと言うた。 「明の国では人里離っだどこに桃源境というめでたいめでたい不老長寿の果物がある。一口食べっど千年は生命を保つことができる。それを蕃桃という。蕃桃とは一番おめでたいことに利用されるもんだ。その柿も蕃桃と同様である故、夢々粗末にするなかれ」 はっと目覚ましたときには、もうそこには白いものが置いてあったど。初霜だったど。ほして池の端さ蒔いたその木の実の一葉散り二葉散りして、数個のみごとな柿の色づきながら実つけていたんだど。ほれから、 「かいつは、もったいないから、われわれは食んない」 て言うごんで、神事仏事に殿さまさ献上され、その話が中央まで伝わって来て、時の中納言某ていう人にそれが献上さっで、中納言さまから感謝の巻物が、そこの家に届いている。それが関根柿・紅柿の由来だど。諸説紛々であるが、沢庵和尚が干し柿を教えたとか、あるいは縁側に剥(む)いておいたのが、干し柿の始まりとかいう話もあるど。どんぴんからりん、すっからりん。 |
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