99 義家と朝茶

 むかしむかし、八幡太郎義家が安部貞任、宗任追討のために東北さ来た。そのときに、戦い利あらずして破れた。そしてどんどん追(ぼ)わっだ。もう逃げ場失なってしまった。どうせここで討死するんだったらば、お茶の一杯でも飲んでという気持で、とある茶店さ入った。お茶を所望した。そこでは早速そのお茶をふるまってくれた。ほしてその一軒家でお茶御馳走になってるうちに、よもや、ゆうゆうとお茶など飲んでいんまいどて、どんどん逃げて行ったと思って、追手はほこ通り越してどんどん先さ行ってしまった。それで八幡太郎義家が大難をのがっだわけだ。そしてそれが何時頃だったかていうど、朝の七・八時頃であったと思うわけだ。それでお茶飲んでいねどすれば、追手に捕まって、あるいは殺さっだかもしんない。んだから今でも「朝茶ていうのは〈難除け〉だ。三里もどっても飲め」て、こういう風にたとえて置くんだけど。
 ほして、その義家が陣容を立て直して、また貞任の軍を破って大勝を得るわけだ。そして貞任の残党が今でも本庄村の藤沢さ、安部家一党は貞任の一族だって、今も話しているんだ。
 結局、朝茶ていうものは大事にさんなね。「朝茶あがらっしゃい」て言うたらこれは縁起かついで、そういうものは御馳走になる。
 柏木から楢下方面さ出はっどき、「朝茶飲んでござれ」て言うた。
「いやいや、いそがしいから行くべはぁ」
「ほだなこと言(や)ねで飲んでござれ」
 一人の人が、
「ほんでは御馳走になっかな」
 て、御馳走になってだ。一人の人はいそがしい、いそがしいて先に出た。行ってみたれば、大なだれがあって、そのなだれで飲まっで逝くなっていだけぁ、朝茶御馳走なってだ人が何てもなかった。ここらでは「朝茶は三里もどっても飲むもんだ」と言うてるわけだど。どんぴんからりん、すっからりん。
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