2 つともれチョン1なんでおらが〈つともれチョン〉なて言(や)れっかわかんねがった長吉だが、若い衆まで長吉ば「つともれチョン」という。 そんどきのおひゃらかした目のいろで、長吉には「ええこと言(や)っでいねぇんだな」てことがピンとくる。 長吉にゃ、ずっと前から、お父(とう)はいねぇ。んでも爺(じ)っちゃの子でもねぇ。いつか爺っちゃに、きいたことがある。 「ほんとは、爺っちゃは、おらのお父(とう)だべぇ」 そしたら、おらの頭ばぐりぐりとこすって、 「ええ、ええ、そだなこというな。そだなこというな。おらがめんごがってるだから」 なていうたが、爺っちゃから、ぐいっと抱かれると、はだけた胸の熊の毛みてぇな毛が、頬(ほ)っぺさ、じゃりじゃりとして、何にもいうことがなくなってしまったっけ。 2 「ええか、爺っちゃかえるまで、外にでるんじゃねぇぞ」 爺っちゃがざらざらした大きな手で、おらの頭をぐりぐりっとこすると、キイッとした目を、あけっぱなしの板戸から外に向けて、サシコのぶあつい装束(しょうぞく)で走り出た。 雨が棒みたいにふるちゅうのは、このごんだ。 長吉は、川のほうに走って行く爺っちゃのかっこうがおかしくて、戸の口から手のばして、雨を掌で受けながら見ていた。 「爺っちゃもわかいぞ。爺っちゃも若いな」 長吉はいつも爺っちゃから、「チョンは若いんだぞ、メソメソするんでねぇ」 と、元気づけられんのを思い出して、爺っちゃに口の中で言ってみたが、ちょっとばかりうまい言葉のような感じだった。 「ふんとに、今朝はおらのお父ぐらい若かった」 お父のこと口にして、長吉はへんてこな気持ちになった。 3 爺っちゃが戸板(といた)にのって帰ってきたとき、運んでくれた隣の作(さく)じじが、爺っちゃの耳に口をとんがらせて、大きな声を立てた。 「じじ、じじ、サキが助かったぞ、サキはちゃんと助かったぞ。ちょっくら泥水のんだぐれぇで、すぐ息吹き返したぞ。それにな、人形も岸に流れついとった」 長吉は何のことだべと思ったげんど、真青になって戸板さ横になってる爺っちゃが、肩で大きな息ついてるのを見て、爺っちゃにしがみついて、ぷるぷるっと体がふるえて、どうしたらよいかわからなかった。すると、目をとじたまんまの爺っちゃの声が、作じじのよりも大きく聞えた。 「長吉、お前は若いんだぞ、メソメソするんでねぇ」 そんでも、「チョン」でなくて、「長吉!」なんて呼ばっだんで、こいつぁ、うんと悪いんだなって思った。 「ええか、おれぁお医者さま呼んでくっから、お医者さま来るまで、お前見てるんだぞ」 長吉はすぐ、ぼやんとしていらんねなと思った。 「作じじより早く走って、おら行ってくる」 「んだ、爺っちゃの子だから、お前の出る番だ」 作じじは肩をぽんと叩くと、「チョン、行け」と肩をおっつけた。盲縞の着物の裾まくって帯にはさんで、裸足のまんまとびだした。んだ、おれは爺っちゃの子だ。つともれチョンだ。そう思うと急に足さ力が入った。走りながら体がひとかさ大きくなるような気がする。ぐんと右腕はグイッとうしろにふると、右足がぐんと出る。 「お医者さま、つともれチョンの爺っちゃが、ぶっ倒れた」 年寄りお医者さまは、長吉からわけを聞くと、 「おお、おお、チョンの爺さまが。いまサキのお父から聞いた。そらこいつ、まず持って行け」 もう用意してあった薬箱をふところさ入れて、お医者さまをおぶうと、とっとっとっとっと走った。 「お前もえらく大きい若い衆になるぞ、力も出たな…」 そんなことはどうでええ、はやく爺っちゃのどこにもどらんなねと思うと、お医者さまの尻に当(あ)てがった長吉の手は、まるでお医者さまの背中まで届くぐらい大きくなった。それに見合うように、体も、もうひとかさ大きくなった。 「いやいや、あんまり早くて、おらの方が目が廻りそうだ」 ドンと家の中さ踏みこんだ長吉は、そのあと何をしたもんだか、かいもくわかんね。それ、湯をわかせ。それ、水を汲んでおけ。それ、メスをきれいに拭いてこい。カマドに割り木を突っこめ。手拭はきりっとしぼれ。いわれたまんま、ときどき爺っちゃの顔のぞってみるが、目をつぶったまんま動きもしねぇ。作じじはもうさっきから気抜けして、へたり坐りこんだまま、お医者さまのいうのに、いちいちうなずくばっかりだ。 そこに、とつぜん、爺っちゃの大声だ。 「ああ、長吉」 「爺っちゃ」 「お医者さまも聞いておくやれ。作じじも頼まっでおぐらえせぇ。長吉のことだが…」 作じじは急にポロッポロッと涙こぼした。そんどきの爺っちゃの声は耳の中にじいんと残って、そのこと思い出すたんびに胸が熱くなって、しょうがない。 「サキぁ、人形、川に流して、そいつ取っどて、水増しの川に、落っだだ。助かってええがった」 作じじの方が病人みたいな声で、爺っちゃの肩を抱くようにした。チョンもわかった。 「川の真中から、村の衆の方にサキをぽーんとぶん投げだんだぞ。あの力は若い衆だってかなわねぇ」 「うん、よかったな」 そんどきの爺っちゃはそう話はじめだっけなぁ。それから口を動かすが、声になったり、なんねがったりだった。長吉は持ってだ空の手桶を落してしまった。んと、作じじが長吉をその場にむりやり坐らせた。 「ええか、長吉のお父は何人も人助けしたんだもんな。鉄砲水あったとき、お父は長男の春吉を後まわしにして、才太、お花、お万を泥の中から助けたんだぞ。お父がもう一度もどって一人残った春吉を引っ張るべぇと、もう一度泥の中にもどったとき、二度目の鉄砲水で春吉もお父も流さっで死んだんだ。つともれのお前のことを、なんぼ心配して死んだんだか」 作じじは、爺っちゃに代ってしゃべるあいだじゅう、爺っちゃが三べんも、大きくうなずいた。 お医者さまはそっと爺っちゃの顔に白い布をかぶせた。 「ええか、この話わかったら、チョン、思いきり泣け。したば、こんどは肝(きも)っ玉のでっかい子になるんだぞ」 作じじの頭のなで方は、涙を拭いたにぎりこぶしで、ごりごり長吉の頭をこすりつけるやりかただ。 4 つともれというのは、山うばにさし上げる子どもちゅうもんで、むかし、いっぱい子ども出ると、いらねぇ赤子はみんな山の主の山うばに、つとに入っでくれてきたもんだ。おれぁ、お父がどんな苦労しても、神さまから授かったもんだからちゅうて、つとさ入れて捨てんべと親族しゅうがいうても、お父がゆるさなかったちゅうだ。つとから、落ちこぼれて生きのこったもんだそうだ。 作じじがようやく涙をぬぐって、爺っちゃがやってくれたように、ぐりぐりって、長吉の頭をなでてくれた。 「つともれチョン、外に出(で)れ」 長吉の手をぐいぐい引っぱって外に出ると、まだ川の音がゴウゴウしてるに、空には一つ星が出た。 「なあ、あの星だべ。爺っちゃの星はあの星だべ。お前が、〈よし、ええことさんなね〉〈よし、悲しんでばりいらんね〉と思うと、爺っちゃ星が前の方を照らしてくれるんだ。そういう星になったんだ」 作じじは右の指できらっと光る星をさしながら、ぼたぼたぼたと涙を流した。その涙の一つぶが、おらの顔にかかったが、おらは爺っちゃ星をギイッとにらみ返して泣かねがった。 「おらぁ、つともれチョンだ。爺っちゃ、長吉なんて他人(ひと)ごとみたいに言(や)ねで、チョンていえ、チョンていえ、そしたらおらは泣かねでいられるんだ」 |
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