2 あらきの子守唄(二)古老(としより)の言うにゃ、昔、江戸時代末期のことだったべて、この郷(むら)の或る素封家(かねもち)で 娘さ聟とって後継にしんべて云う家あたけど。でもその娘まだ家の若勢と良え仲 になてあったふうだちゃや。それでも身分が違うどて親に許さんなえで一緒にし てもらえなくて、この世ば果敢むで心中してしまたけど。当時(そのころ)それが瓦版になったり、口説節になてうだわったりして世間の語草になた ふうだったど。でもそれを流布(なが)したごぜ達(だ)みでえな旅芸人達も気がさすとめえで、 この郷さ一足踏み入れっとこの心中事件さは一言も口にふれなかったじゅごんだ。 でも、人の噂も七十五日とか、郷では珍しい大変事(おおごど)だったなで、今までの聟取 話もそれをほのめかすように作り変えらって、語りつがれた向きもある。それじゅな。 昔あってな。或所の長者さ、器量の良え独り娘居だけど。親達も何とかして良 え家(ど)から釣り合のとった相手ば探して授けて、後ば継へだえもんだて言うなで、 でも娘まだとっくに良え仲の男居だなだけど。「松明は足元が暗い」て言うたも んだ。親達としては娘ど自分(わあ)家の若勢どの仲が出来ったな知らなえがったふうだ ちゃや。ほのうち、娘の腹も大きくなて、おぼこも生ったべ。 ほんでも親達は許して一つにしてやる気がなえなだど。ほして若勢(あに)どこ憎くて 憎くてだど、二人の仲ば引き離したえどごだろ。今までどはがらっと変えて、若勢(あに) どさ仕事でも何でも難しいごどばり言いづけんなだけど。 今日は何た難題吹っかげっかて、親達相談してんべ。娘ぁそれを嗅ぎ出すと、 若勢(あに)の味方なてな、直ぐ背中のおぼこさ歌てきかへる振りして若勢さきけるように歌うなだけど。 背戸の山のドンコロは 落ぢて来たたて 動転するな 中は洞(うろ)だぞ 紙張子 ねろかろやーど 「裏の山から大きい丸太が転り落ぢて来ても避げで逃げるごとはなえ、紙張子の 丸太ださげて、ハッシと抱きとめろ。んでないど、また何かと言われっさげて」 だど。こっちで我慢すれば済むべさげ、何とかしてと手合せて拝むけど。惨(むぞさ)えでやはな。 何時かもな、「千刈の田圃(ともで)の畔ば一日で塗り上げろ」どて、まだ難題かげらった けど。若勢も困てしまたろ。千刈て言えば、なんぼ良え田だて七段歩がら余分(さき)あんべ。ほれ「一日仕事で畔塗り出がへっか」てよ。並なことでは出来っこないど 思てな。早ぐあねこが知恵かして呉んねがど聞耳立ったど。ホラ、何時も 千刈田圃(ともで)の畔塗るにや 朝間に削って 昼附けで 鴉の夜上り 見で撫でろ ねろねろやーど 「前面(めえっかた)の千刈て言た田圃の畔ば塗る時にや、午前(ひのめえ)にどんどと削って行って、午(ひる)后(がら)は泥土ば附けで、夕方(ばんかたしめえ)なて鴉ぁ とにかく、どげた難題もちこまっても、力合せで切り抜げんべ。ほのうち |
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