子どもがついてきた 俚諺・戯れ唄

 生活の智恵としての「ことわざ」や「言いならわし」には、語呂がよかったり、また「しゃれ」に富んでいるものがあって、とかく親しみ易い。子どもでも気がのると口拍子にのせて、いつか自分達の世界のものにしてしまう。
 それにまた戯れ唄なども気に入りで、どうしても大人の領分としか思われない唄であっても、小耳にはさんだと思ったら、もう遊び唄や手まり唄に替えて口遊んでいる。変曲、替歌の名人であるかもしれない。こうして子ども達の管理で継承されてきたと思われる唄もかなり耳にするところである。

    朝虹(あさのにじ) 川越しんな 昼飯(ひるまま) たがぐ所さ 蓑笠放すな
    朝虹 笠放すな 夕虹 空見んな 白虹 百日照る
 朝早に虹の立った日はその時、お天気が快くても、急に変って後で、出水のおそれさえ出てくる。川越するような所に出かける人は、よくよく気をつけないといけない。また午後からはきっと雨降りになるから、昼飯持参で家を出る人は、雨具を用意するように。
 白虹は好天の兆で、「白虹立って三日間降らなかったら、百日照り続く」とさえいうくらい。

    朝てっかり 聟泣かせ 姑かかあの カラカラ笑い
 早朝から照りつけるような日和は油断がならない。こんな時は一日中快晴かと思っても、午(ひる)時分から、きっと雨降りに変る。今日は上天気とふんでミノカサの用意もなく、朝下(お)りして行った稼人の聟殿は、さぞや今頃は困りこんでることだろう。それに引きかえ、聟いびりの意地悪姑はさだめし、ほくそえんでることかもしれぬ。
 寄り目のことを「てっかり」というが、照というのを遊んでそう歌い、次にカラッと晴れた青空を想わせて、カラカラと笑いと下げたところが、いかにも憎たらしい。
    申(さる)こ日照り 午の半晴れ 末の雨降り
 読んで字の如し。童達は口拍子にのせて、口遊び。この天気諺が本当に理解できて、身につくのは百姓の道もずっと経験を深めてからのことであろう。

    桃栗三年 柿八年 梨の馬鹿野郎は十三年
 果樹は樹種によって実生から果がなるまで意外と歳月のかかるものである。今日の技術で接木すれば、ずっと早まるにしても、往時は古老の経験から推して、唄にある年数が見込まれた。数の組合せがとても拍子よくしている。

    ひぜん掻きかき三年 また三年 なおって三年 名残り惜しくてなお三年
 皮癬はしつこい皮膚病で、一度かかったら完治するまで十二年もかかるだろう。なかなか治りがたいと歌う。一緒に遊んでいる仲間に皮フ病で掻ゆがる子がいると、からかう一方、伝染しないお呪いに予防線を張って歌う。

    六皿九皿も十五皿 七皿八皿も十五皿
 動作がびんしょうを欠いていてもさっとしてると、こんな唄で囃したてる。六皿九皿は「もさくさ」に通じ、七皿八皿の方は快々的の表徴。どちらも十五皿には変りはないけれどとヤユする。

    お客三杯 手八杯 万八なて 底抜げ底抜げ
 酒呑みはとかく酒となると目がない。客には「たてつけ三杯」などと態のよいことを言いながらも、客は肴であって、手前の盃には、たんとたんと。手酌でたらふく呑んだあげくが大トラとなるほど、底抜けになるのが落ちである。
    上サラサラ 中バッタリ 下六寸
      下々の開きっ放し
 戸障子開閉の行儀をさとした諺である。荒々しい音を立てないで、静かに敷居をサラサラッと滑らせるのが上等。力が入りすぎてバッタリと音を立ててしまったらまずまずとしても、五六寸も隙間をあけて閉めるのは下等といわねばならない。さらには、開けた戸障子を閉め忘れ、開けっ放しにするのが下の下というところである。

    あした あさって やのあさって
    ささって もぐって くぐって一週間
 明日の次ぎ明後日はあさって、次の翌日はやのあさって、そのまた翌日はささってと明け、あとさらに二日重なって一週間となる。そのもぐって、くぐっては「潜って」であるが、単なる語呂合わせ。また他所では「やのあさって」と「ささって」をちがえて呼んでいる所もある。
(野村純一氏のご教示で、あさっての次が「しあさって」ということである。ただし、山形地方では「しあさって」は使わず、「あさって」の次の日は「やのあさって」とか「やなさって」と呼んでいる人が多いようである)

    孫 曽孫(ひこ) やしゃえご(玄孫) そそりごのへらごまで
      ニャンという音 きぎたぐなえ
 或時(あっづき)、爺さまがねずみに恵ぐでやった恩返しに、ねずみの天国(くに)に案内されて、もてなしを受けたとき、そのねずみが幾末代までも猫のなき声だけはききたくないと歌ったという昔話がある。「人間もへらごができるまで長生きすると、鬼才になる」といったもの。

    孫 曽孫 やしゃえご 踏ん潰しゃ きしゃご
 孫、曽孫、玄孫と栄えて、その次はと期待したら、間引くかして踏みつぶしたので、ただの小さな螺貝になったとふざける。きしゃごはうらつぶとも称し、この螺貝は冷えのものとされ、生でつぶして臍に塗ると腎臓の妙薬とされた。

    親爺のヒョロヒョロ 息子の道楽 孫のぼうらく
 息子は怠け者で、いっこうに働こうとしない道楽三昧。孫も家業を手伝わないどころか、毎日放楽放題、そこで親旦那の脛はかじられっ放しで、やせ細るばかり。これでは叶ったものでない。そうなればどうあっても―。
    蜜柑 金柑 酒の燗 親の折檻 子は聞かん
 かんとつく言葉を組合わせ、さらには結びをば「嫁を持たせにゃ働かん」とも。

    薪(き) 味噌 傘 下駄 提灯
 この品々が、いつもきちんと取りそろえられて不自由ない家なら、まず暮し向きのよい証拠である。一方これはとかく他人や近所から借りられがちな品で、すぐ返してくれるものと思いきや、いつも貸したらずるずるべったりで、催促なしでは返って来ない。それと知りながらも、貸すのがバカか、すんなり返すのもバカか、というところ。

    気持よりも 澄し餅 差首鍋よりも 肉鍋
 「気持だけでも汲んで下さって」と言って、何も出さずに済まされるより、澄し餅一杯でも馳走になった方がずっと気持よい。澄し餅は澄し汁を使った雑煮餅。差首鍋は土地の名であるから、鍋は鍋でも肉鍋とでは大ちがい。実利実益が優先であることをうたった語呂のよい喩え言葉である。

    梅干食っても核なげんな 中さ天神 寝てござる
 弁当に梅干を入れてあると、核はきっと家に持ち帰ったものである。山に稼ぎに行って、よく茸や木の実など見つけたり、沢ガニなど捕らえると、ワッパに入れて持ち帰る。子どもはたまたまそれを開くのを楽しみに、父の帰りを待つ。でも、いつも栗の実、山ブドウなど山の幸が現れるとは限らないし、コロッと食べ粕の梅干の核であることもある。それでも山の土産と称して、喜んでしゃぶる。酸味の抜けた味気のなくなったのが、子どもには手頃で、父親の味がのこるのかも知れない。
 食い残しの梅の核は捨てないで、水屋隅に専用に備えたカメコに溜めておいて、やがてには梅の樹の根方に埋めて土にもどす習わしがあったものだ。また、梅の樹の下に立小便をしても、勉強が出来なくなるといって叱られた。昔は天神さまの信仰が今よりもずっと厚かったみたいである。

    鶏食って ドリ食うな 蟹食って ガニ食うな
 ドリは鶏の肺臓で、食べて食えないこともないが、生のうち見た目が毒々しい色で、ちょっと食指が動きそうにもない。川蟹は沢のぼりして、よく蛇類を捕えて食うという。その時に通称「ガニ」と言い、袴とも呼ばれてる所に、蛇の毒を抱えるから、ここを食べたら危険をはらむということを教えている。清音とそれに濁音がついただけで、無害か有害と大きなちがいを生ずるところがみそである。

    嬶や かんざむ 飯(まま)持て来い
    これこれ これでは蒟蒻(こんにゃく)だ
    味噌さえつければ 田楽だ
 所望したのは御飯であるのに、出されたのは蒟蒻である。魚だろうと、握飯だろうと、はたまた豆腐、蒟蒻であろうと、味噌さえつければ田楽であることに変りがない。「かんざむ」は神ざぶなのかどうか。伝承の間に問答も多少抜けてしまった個所もあるような気がする。ともあれ、子どもがお腹をすかして、仕度の出来るのを待ちかねると、よくこの唄を口ずさむ。そして箸でお茶碗叩いて、御飯を催促しようものなら、これはマナーがわるいと諭され、「化けもっこ来るぞ」と叱られる。

    坊さま 坊さま なして目(まなぐ) 見なえ
    おまんま こぼした その罰だ
 鼓弓や三味線を持って門付けして歩く座頭の遊芸人を、ぼさまと呼んだ。そんな目のわるい人を冷かして歌うというより、食事の時に、御飯粒をこぼして、それを拾わないと、お天道さまに罰が当たって、盲になるぞと諭された。唄はそんな時に子どもが自らをいましめて、よく口にしたものである。

    むがし むじげだ はなしァ はじけだ なんぞ ながった
 昔話を聞き終えて、他の遊びに移ろうという時、あるいは語り手の方で一服する暇もなく、せがまれてうるさくなった時などにも、よく口にする。
 昔話は機嫌わるくして、向きを変えて、どこかへ行ってしまった。咄(はなし)は弾けてしまったし、謎々はどこかへ流れて行ったので、もうこれで終(しま)い、また明日にしよう― というのである。

    おうしろの おほしもちに おからすが おふっついて おほきおほき
    と おほついて おいます
 えや使い(よそゆき言葉)には「お」の字をつけるようにと言って、程度によりけりである。何でも彼でも「お」さえつければよいと言うものではない。「屋根裏にさげた干餅に烏がよって来たので、ホイホイと追っています」というのに、「お」をつけたら、こんなふうになったという喩(たと)え。

    歌々え 歌々えて 言(ゆ)て呉(け)っさげ 歌々いでげんど
    歌々うような歌 歌知らなえさげ 歌々わなえなだ
 酒席で、いわゆる音痴がしつこく歌うことをせがまれて、困り果てた末には、よくこう言って逃げる。気取ってるんでも何でもない。ただ所望される様な歌を知りませんから、歌わないのです― というにすぎない。まわり歌が始まったら、この歌の逃げ口上も早口言葉として、好評の一つの芸にもみなされる。

    正月元日から呑み始めて 二日酔い 三日ふらふら 四日よかよかと
    いつかこの酒さむるやら さむるやら
 唄の内容から推して、明らかに大人の唄であった。数え唄式に数字がうたい込まれているから、手(てん)まり唄、しょうなご唄としてもなじみやすく、いつのまにか子どもの唄にかえられたのだろう。

    正月二日の正夢(まさゆめ)に 子宝生(う)んでる夢を見た
    とりあげみれば 玉のようなる男の子 祝いましょうか 幟竿幟竿
 この唄もゴムマリが現れる以前の手まり唄として、よく子ども達に愛誦されたという。大津絵節の改作とわかる。大津絵や松坂には危っかしい下卑た詞も流行ったが、しかし、めでたい席などで祝い唄として、その本唄をよくする者は歌上手として称えられたものである。元唄は、
    ながきよの ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふね
    の おとのよきかな
    下から読んでも ながきよの 正月二日に正夢みた 宝子生んだる夢を
    みた とり上げみれば 玉のようなる男子なり 祝いましょうや幟竿
    尚武刀や 菖蒲草 アアコラコラ
    今日は出はり初め 歌い初め
    もらた手拭のかぶり初め かぶり初め
 昔は、女子衆は正月三か日は門外不出とされ、四日に初めて出はりそめとする習わしであった。親しくしている知人の家を訪ねて、門口に立てた松かざりから一葉ほどむしりとって、年頭の挨拶の標(しる)しに差し出す。そんな気安さで、日頃の茶のみ友達が寄ってくる。
 何もお正月だからといって四角張り、高脚の赤い膳など出すこともない。囲炉裏をかこんで、甘酒が出され、やがてかぎのはな(自在鉤)に燗鍋がかけられるとなると、唄も出ようし、俚謡、雑謡の総ざらいとなるのも、極く自然である。おばあさんについてきて、半戸前で遊んでいた童達が、こんな雰囲気の中で、小耳にはさんだ唄が口拍子にのったのであろうか。

    仕事しだぐなえし んまえ(美味)もの食(く)だえし
    なったらええがろな 坊主ァ嬶へ 坊主ァ嬶へ
 世の女性で一番楽に身をすごせる者は、お寺の奥さまと見たてたのだろう。こう歌ってマリをつく、ひょうきんな子守娘の姿が彷ふつとして来る。

    踊るて跳るて 今夜ばり 明日から田圃の稲刈りで
    一ぱ刈て束ねて チョイと投げて 投げよが悪(わ)りどて 叱られた叱られた

 農家は八朔(はっさく)を境に、昼休みをやめて、夜なべが始まる。これは奉公人の子守娘にもこわい(つらい)ことだった。稲刈りが始まると猫の手も借りたいといわれる。たとえ鎌まで持たされなくとも、刈った後始末、杭かけや稲架がけのてご(助手)ぐらいには狩り出されたから、身につまされた口説としても口ずさんだ子守娘も、中にはいたかも知れない。

    それ搗けややれ搗け あたりをからんで 中しょうしょう
    ソラ 中しょうしょう
    それ搗け やれ搗け そご搗け 臍搗け しんしょう しんしょう
    ソラしんしょう しんしょう
 往時は春先きに雪消えの路上が、一等の子ども天国で、早く雪を消してコマまわしやパッチ(めんこ)打ちができたら、他集団に対しても大きな誇りであった。節が来ると子ども達が寄って春を呼ぶかのように、力を合わせて部落の往還の雪を割ったり、搗き砕いたりして雪消しをする。
 これは元来味噌造り唄である。煮豆を搗く作業では、杵の当りがそろわない方がよく搗けるなどと言って、少し大きな子ども衆まで狩り出される。餅搗きとちがって、杵の形までわざと不ぞろいな物が用意されたものである。本当の味噌搗き唄が家々から聞こえてくるのもそろそろで、もう桃の花が咲けば、味噌造りの最盛期となる。

    情(いろ)で貸した金 はたる(催促)のか よごせと言うなら 妾(わし)がやる
    十月待たんせ 子で払う 子で払う

    トント豆腐売り 橋がら落ぢだ あげて下んせ油売り
    搗げるよけれど 色変る 色変る
 これを歌ってマリをつく童達は、意味がわかってかわからずにか、ともあれほがらかである。思春期にでも達した、ませた子守娘が、大人の戯れ唄を遊びにとり入れたのが継承されているのだろう。

    次郎兵と太郎兵は 柴田のあたりで 金玉落して 一生片輪となりあがた
     へーへでば寝らんなえ おればりこうだか やっちがない
    しんちこ(おちんちん)死ぬまで縛られて 赤彦なんとも迷惑だ
     へーへでば 寝らんなえ おればりこうだか やっちがない
    爺ィさま金玉 ねずみにひかれ 嬶は泣ぎ泣ぎ「玉来い玉来い」と猫呼ばる
     へーへでば 寝らんなえ おればりこうだか やっちがない
 やっちゃない― は取り乱しているとか、始末におえないとか。ともあれ、童達が家ン中でほごって(ふざけ)いるうちに、どうかすると笑いが止らなくなるくらい心浮いてくることがある。かと思うと無性にがなりたて、あげくは泣きたくなるほど騒ぎまくり、わけなくあばれて発散させる。
 やがてには、「なんたい喧しねちゃ、耳鳴り雀だもン」と叫ばれかねない。そう言って叱りつける大人も、大方不快指数が高まって偏頭痛に悩み、雨降りに変るだろうと思ってるにちがいない。「猫と童達のさわぐ時は、天気が荒れる兆」といって、こんな時の子ども達のさわぎ唄であったという。
 元は何唄であったものか、あるいは流行(はやり)唄の囃文句だったかもしれない。ともあれ、この元唄は明治中期にこの地に入ったものか、その頃から、大正の初めにかけ少年期を送った年輩者が、ほごりこ(ふざけっこ)をやる時に、よくこの「へーへ節(?)」を誦ったといわれている。

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