13 大根・蕪の精進日

 昔あったけど。大根と蕪ば一日精進さなんなえ日あんぞ。今だてしてる家ある。その日は十月十日で、大根の年とりて言て、この夜一晩でおがんなだど。そのおがる最中ば動転させっと、良(え)ぐなえていうなで、朝ッから畑さ足も踏み入んなえごどしてんな。もちろん精進じゅんだ。きっとの事(ごん)で、十日夜(とおかんや)さまへのお誓いだてだんだ。小豆飯も炊いで供(あ)げるでや。
 まだ、この日は「馬の渇れ日」どて、秣(んまのもの)なんぼやてもたくさだ(満腹)ていうごど知らなえ、食せさえすれゃ何ぼでも食うていう日だど。今まで刈干運びや稲掛はこびで難儀つづいださげ、扱いよぐしておいで、萱刈どきには、まだたんと稼いでもらわねばなんね。ゆっくり休まへでご馳走する日だんだ。畑の菜物ば崇めだり、使い馬ば大事に労(いた)わる日なんだろ。
 それど、十月十五日は、お大日さまのお祭り。この日も大根・蕪の精進だ。昔な、義経が弁慶だとご従えて、庄内がら弁慶丘越してきた。ほして小国の新輔さんの家さ、しばらく足とめたふうだ。そん時、厄介なたお礼にていうなで、掛軸一本ど、麻裃一そろえ置いで行がれだどごだど。その軸が今のご本尊だて伝えられる。
 或時(あっづき)な、ここの家が火出して、丸焼げなたごとあたど。ふしぎなごともあたもんだ。義経くれで行た物はどうしてが、そっくり屋外(おにや)さ出はてだど。大根畑の中で火ば避げったけど。神さまの力ちゅうもんだべな。ほれがらじゅもの、大根・蕪ば精進して、この宝物ば祀て、お仕えするごどしたど。こういうごどのあった十月十五日に毎年、ご開帳するども、お詣りする人達も、この日は大根・蕪精進すんなだど。
 西川にも同じに大日さま祀てある。こっちの家は小国どは昔姉妹で、義経達が小国訪ねた時に、西川の方さも寄てみろて言わって世話なたて伝えらってる。でも西川のその家に言わせっど、一行は砥山峠ば越して来たなで、小国より先に着いだなだ。そごで腹ごさえもさせ、ひつわっぱ(櫃ワッパ)えっぺえに飯も握てもだせだ。次の行く先に小国の妹の家も教えで、立たせだなだったど。ほの礼にどて、箱さ入たりっぱなもの、もらたったど。
 それがやっぱり火事で家が焼けだ時に、庭の梅の木の股(まっか)さ、ひとりではさまて火避げていたけど。さっそぐ箱開げてみだれば、ありがでえ掛軸と、九月十五日に、蕪を精進するよう書いだ物出たど。ここ西川では、一と月早い九月十五日に開帳して、蕪だけ精進で、大根は食てもええじゅごんだ。今もその通りしてっと。
 どんぺからんこ なえけど。

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