10 仏嫌いの猿

 昔ていうたて、どのくらえ昔のことだんだが、古い話で、猿まだ人間だった時分のこつだど。ずっとしょっでんは人間が猿だったなでなくて、猿ぁ人間だったなだど。
 或所(あっど)さ、少し勝手(ぶんて)な男いでな、今日は彼岸の中日だていうなに、ひとりで山さ遊び行たどごだど。大体どこの家だて、この日は仕事も休んでお寺詣り行ぐどが、家内中、手分けしても、あちこち仏拝み歩ぐんださげな。ことに「中日に、七所(どこ)から彼岸団子ご馳走になっど、きっと良えごどある」て言たもんだ。それだのに仏さまばそっちのけして、何故(なえ)なごどで山さ行ぐどこや。
 今日あたり山さ行たら、栗なぞ、ひとりで拾い切んなえほど落ぢでんべ。ほればりが、山ぶどう、山なしなども撓(しな)りがえっ所(どこ)おべったさげ、勝負しんべじゅなで、誰さも声かけなえで抜けがけした風だちゃ。
 とごろがなんた勘定だが、栗こ一粒落ぢた跡もなえじょん。木ばほろてイガむいでみたども、まだえんでなえ。さんざ歩きまわたどもくたびれもうけで、とうど暇倒れだけど。
 あげぐに帰てみだれば、家の童こ火傷(やけぱた)したどて大さわぎしったどさ来あだて、ほれやどうすっとええ、何つけっとええ、とかてさわいでる最中だけど。ただこの騒ぎは他所にして、高窓(さま)さ、ねこっと坐て、おそこ笑って見物してる者いたふうだ。見だごとなえ者だ、一体ほれやなえだもんだったか、ふしぎでならなえ。彼岸だていうなに、仏さま拝まなえなさ、罰かぶせた仏さまだったもんか、それども火傷(やけぱた)したおぼこが猿に生れかわっどこだったが。
 どっちしても、今は猿まだ仏さまが大嫌いで、両手あわせて拝む振りされっと、ごしゃえで格別(べつ)だんださげ。糞たっでそれつかんで投げでよごすんだか、ししゃましする。遠廻しでも来たら、からがてみんだ。芸ばそっちのけで、牙むいて飛びかかる勘定しんださげな。
 彼岸の中日にゃ、用あても休みして、後で傭かけでも仏お参りばするもんだてな。
 どんぺからんこ なえけど。

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