3 お日待に語る凶作話昔あったけど。初午(はつんま)の日に女子衆ばりのおひまちあたもんだ。谷地部落など三百年あまり、今なてもその習いばつづげでるじゅごんだ。この日に契約の主婦(かが)達が鎮守さまさ詣った後、まわり宿きめて篭る。そして凶作話どか、火事話、それにオホソ(天然痘)話と三つを話題にして語り合うなが、昔からの習いだど。 けがちば語るとなっと、なに言(ゆ)たて天明の飢饉が一番ひどえべ。この辺だて、どさ行っても袋担ぎ(飯米借り)もならなえどごろが、八升の籾殻(ぬが)三合になるまで石臼で挽いで腹の足(た)しにしたもんだていうし、自在鉤(かぎのはな)さ溜た煤まではだげで、煎じて飲んだじゅごんだ。道端さビッキ草(オオバコ)など一本もなぐなたっけさげ、食える草なら採て食いつくしてしまたんだろな。 或所(あっど)さ、ごっつぐ婆さま居でだど。米粒三粒見つけで、誰ちゃも教(おへ)なえで、裁縫箱(ぼろこばこ)さひそまへでおいだけど。あまり大事にしまい過ぎで、見(め)なぐしたじょんは。困たども他人(ひと)にはきがんなえごどだし、何もかがわりもなえ嫁(あね)こさなの、あだりちらしてんなだけど。 嫁こは、ろくなものも食へらんなえで、毎日牛や馬みでえに酷ぎ使われでんべ。家さ居ればいびられんべし、生ぎだへづら(甲斐)もながったろ。夜上りして来っ時にゃ、いつも身も心も疲れ切っては、ドッコイショど、どんぎ(上り台)あがる元気さえなぐなっけど。ほれさ、聟だて婆さまどごおっかなくて、ちっとも同情(なさげ)もかげでくれるでなし、誰一人力なてくれる者てなえ。ただ嫁(あね)こは自分部屋さ篭(こも)て、むがさて(嫁入り)きた時、里からもらてきた櫃さ手突込んでみっ時が何よりの天国だけど。 ほうやっと、なしてだが千貫の重石背負さったよな疲れも、さっぱりと除(と)っで、頬面(ほっぺた)さ血の気もどるよな気すんなだけど。 或時(あっづき)な、姑婆、これ見つけで根性こ曲げてしまてはな、何か櫃ン中さ隠してるにちげぇなえ、食物しのばせで隠し食いしてんねがて、疑ぐるどころだろ。そうなったらもう婆さまも地獄の餓鬼ど同じごど。嫁こが稼ぎに出た留守見計らって、櫃開げだどごだど。 なんぼひっくり返したて、婆のおもていた米粒など出はりっこなえし、んめえものなの何一つ出で来なえ。でも田の神さまさ供(あ)げる稲柱聯(いなかず)ほどの稲穂の小束がみつかたけど。 きっとのごんで、これだったんだ。たしかにこれだ。これ一粒一粒むして噛んでたものにちげぇなえ。他(あど)の人達は飢えようが何しようが構わなえていう根性骨が、やらしくなえ(にくらしい)てだど。嫁(あね)こには無断(だまっ)て、その稲穂ば盗り出して、婆さまひとりで食うてしまたんだな。全くあぎれはでた婆々腐奴(ばんばくされめ)だ。 嫁こがむがさって来っ時、里の親達からくれぐれも言わって来たなだど。 「けがち続きの苦しい生活の中から、お前ンどこ呉れでやんなださげて、櫃さ入(え)っで持だへる衣裳だて少しだ。その代り、いざていう時の種籾ど思(も)て大事にしった稲穂ば分げて入っでやる。これはどげた事あてもな、粗末にすんじゃないぞ。向うの人達さも黙てでいいさげ、よぐよぐ凶作で、こんだ蒔く種籾も穫れなえていう、そん時にこれ出せば倍も喜ごでもらえんだ」て、あずけらってきたなだったど。 たとえ、これっぽちの稲穂でも、これ種子にして、だんだん殖して行けば、いつが、でっちり米の食える年も来んだろ。ほさ望みつないで諦らめないで支えにして来たなだけど。ほれが一粒残さず消えたとあっては、もう誰のせいか聞きただす必要もながったべし、まだその意地もなぐなてあったべ。 張り詰めだ綱がポツンと切ったも同じこと。もう生ぎる気力もなぐしてしまたべはな。櫃の前さ、精魂(たまへ)抜げだようにガックリうずくまて動けなくなったけどは。ほれがらじゅもの、日に日に衰弱(がお)て行ぐばかりで、あわれ嫁こは花も咲がせずじまいで一生終えでしまたけど。 どんぺからんこ なえけど。 |
>>安楽城の伝承 目次へ |