3 山野でつかう箸

 昔あったけど。弘法さまて言う偉い坊(あど)さまが、ある時旅してらして、河原で昼飯(ひる)つかうごどなてあったど。土手さ坐て、きれいな川の流れば眺めながらど思(も)て、包み解いでみだれば、箸忘っで入ってなえじょん。
 代わりするもの何がなえべがど周り見まわしたら、すぐ傍さ笹やぶあっさげ、そっから良えよなえらんで、二本手折てきたど。ほの箸で、まず入れもののふたさくっついだ飯つぶば粗末しなえで拾たべし、弘法さまのごんだ、どさもこぼさなえで、さっぱりと頂いだべ。ほれでも念押して、食い終て箸ばよっくなめで、川さ流したけど。
 でも、ふしぎなごともあるもんだ。投げた箸は下流(しも)さ流って行ぐな本当だべが、なぜしたが、流れが渦巻いで、逆流してもいないのに、上流(かみ)の方ちゃ浮いで行ぐじょん。弘法さま、これは何があんぞと思て、追(ぼ)かげで川さ手つっこんで箸ば拾い上げてみだどごだど。
 ちょっと見は別に変たところもなえけども、ねっづぐ見たれば、なるほど、笹だもんださげ、中が胴(うろ)で穴あいでる。そこさ御飯つぶ詰ったな見つけだど。
 きっとの事(ごん)で、これだ、これだ。気がつがなえど重え罰かぶるごとした。これは神仏の教訓(おへごと)にちげえない。弘法さま、そう悟って、その箸ばおし頂いてから、口で御飯つぶは吸い込んだどごだど。ほれがら箸ば川さ入(え)っだら、こんだはすいすいと下流(しも)さ流って行んけど。
 これがら二度ど、こうゆう粗末なっこどしなえがらど、弘法さま手合わせで詫びで、ほっとして、まだ旅続けなさたけど。んださげて、笹竹みでぇな胴(うろ)なもんで箸使うな気つけなんねな。川原で飯食う時、なんた箸こさえっと良えがていえば、柳などだど、えっぺえ生えでっし、枝こもまっすぐで、手ごろのようだども、柳箸ぁ仏さまの箸で、罰かぶっといげなえ。うつぎも良さそうだども、これまだ、灰寄のお骨ひろいの箸にするもんださげ縁起わるい。他のもんでは、川原蓬の枯茎どが、もぢろん萩などは良(え)がんべちゃ。
 んでやな、山で昼飯つかた後、箸ば二本そろえで、真中から折りがげで投けてくんべ。あれは、なしてだて言うどな、山姥みでえな化物に追(ぼ)かけらんなえ呪だど。
 青物採りや茸採りなど行て、普段、人間も通らなえよな汚れのなえどごを荒し廻っさげて、山姥ばごしゃがへてしまう。ほして弁当つかた人間の匂いかぎつげらって、後追(ぼ)かけられる。そん時、捨てた箸ば化物が見つけっと、奇態(きてい)に足ぁ止まてしまうなだど。
 箸まだ真中がら折れで曲ってっさげ、への字の形なってんべ。ほれ、二本合わせたら、口の字になんべよ。いま昼飯(ひるま)して行た者は、こげた口してんなが、これぁ人間よりまっとでっけぇ(大きい)生き物にちげえなえ、これでや追かけでみでも、とてもかつがれめえし、たとえ手向(むが)ても勝味がないど諦めて引返して行くど。んださげ、山で弁当つかたら、ほごさ箸ば折りかけて置いで来るもんだてな。
 どんべからんこ なえけど。

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