5 狐さ手伝た産婆昔あったけど。といっても、ほんげに古い話でやなえ。大正なっとの時分だったんだな。田んぼ一枚なえ山ン中さ、にわがに集落(むら)一つ出来(でげ)だごとあた。ほれは大向山の日山さな。あそごは西郡小国以上沢ど、三方さ抜げる峯続きで、こさ官行事業の炭焼始めたけど。秋田だの岩手だのど、ずいぶん遠ぐの国がらも移て来て、あれで三十軒近くも建ったがな。店舗(めへこ)出す者もいだし、えっくらえの集落(むら)こだったけよ。後で事業やめなて、家たたんでどさ移たが、一軒もなぐなたどもな、今もわらび採り行てみっど、ちょくちょく屋敷跡(やじと)らしいものが見かけられる。栄えだ当時(あだり)の事を想うど、まるで夢みでえだな。その日、山さ、炭焼嬶(かが)の出産(おぼこなし)出はたどこだど。野崎の内田婆さまじゅ産婆(とりあげばんば)、頼まって、山さ上(のぼ)たど。とにかく、婆さま上手え産(なさ)へで呉っでな、お祝い一杯出さったべ。女だってして(だてらに)好ぎだ方ださげて、辞儀(じんぎ)なし、ご馳走なたど。何(なえ)でも、そさ(そこに)婆さまどご迎え来たていう者いだけど。 「下部落さ、もう一軒出産(おぼこなし)出たさげ、すぐそっちさ廻て呉ろ」 てだど。婆さま、酒のごりえ(心残り)がったべども、迎え人(と)にせがまって行ぐごどしたべや。ほの使者じゃ、婆さまど、只(ただ)ン仲でなえて噂の立ってる男だったつけ。山がらの送り人(と)ばことわて、二人だけで山おりだどこだど。 それがまだ陽の高いうちのこどだったつけども、下(した)村さ来着いだなは、なんと夜明け時分だったど。なんぼ山路だて言(ゆ)たて、一里あっが、しかもずっと下り坂で楽なはずだべ。女の足だてほんげ時間がかかるわけなえ、どこでなじしてだもんだが、大向の沢ば婆さまひとりで、ぬれねずみなて這えずてっ所、沢側の弥助家で見つけで助けでくったつけぞ。どこが痛ぐしたんだ。血達磨(ちだるま)なてだけど。 婆さまさ、なじ(何故)したながて聞でも、炭たき山の出産さ頼まった帰路(けえり)だじゅごとわがんども、なえしてこげなおっかなえ(大変な)目にあったなが。ほんで(意識)なえていうなだど。ほのうち、親切に看取てもらたら、なんぼがほんでも出てきたんだ。うろ覚えだども、初めの出産のとっから、大して離んなえでもう一軒、どこの小屋だか想い出せないが、手かげらへらった気がしてきたていうど。続げで二人もとりあげた上に、片方はとっても難産だったなで、婆さまもたんだ疲れこんで少し休まへでもらた憶えはあっと。でも、そっから後、どげえして立って来たが、迎人とどごではぐったが、いつ、どこから沢渡など始めだもんだが、てんで思い浮がて来なえどごだど。 なお不思議なごどにゃ、後なて炭焼たちさ聞いでも、山には出産が二つはながったていうし、まだ山さ婆さまどこ迎えに行たていわれる男ば問質(といただ)しても、おれなど一日中家ン中で長着物でいださげ、山さなど行ぎっこなえていうべしさ、婆さまの足どりは、とんと解けずじまい。とうど、人の噂では、てっきり狐に騙さったべじゅごどえさったけど。 つまり、山の狐ごとしては、仲間うぢさ、仔産(な)しが出はて、ほれが難産で大困りしったどごだった。そさ、ちょうどええぐ、産婆が山さ来たちゅうごどわかて、手貸してもらたらええがろどなたもんであるめえが。それにゃ、なじして婆さまどこ頼で来(く)っかだ。まず連れあいの狐どご、婆さまの情夫(いろおとこ)に化げさせで、迎人(と)に仕立て、巣まで連れて来っことだ。もちろん、仔産し狐も人間の出産に見せで、扱がてもらう。ほう言う段取りで事運ばったなだべ。謎はそうどしか解げなえけど。 でも、狐ぁ難産だったなで、たんと出血して、血の気失(な)ぐしてしまたんだな。なんぼが生血慾しがったが、婆さま疲れ切って横なてるこめえに、下(しも)がらたっぷり生血吸わっだどごだべ。それ因(もと)で、体ばぼこして、とうど立ち上れないで命落したて言わったど。狐の悪さも土産苞奪(と)るぐらえが関の山がど思たらなんとおどげんなえ(大仰な)真似もするもんだな。 どんぺからんこ なえけど。 |
>>安楽城の伝承 目次へ |